三軒茶屋の歴史

三軒茶屋の地名は、江戸時代に大山道の本道(今の世田谷通 り)と近道(今の国道246)の分岐点に信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋があった事に由来します。当時は神奈川県丹沢の大山にある阿夫利神 社へ雨乞いに行く大山詣が流行し、文化文政の頃には三軒茶屋という呼称が一般的になっていたそうです。

明治30年代になると三宿から三軒茶屋一帯(今の世田谷公園のあたり)に軍事施設がつくられ軍関係者を相手にした商店が立ち並び、商店街が自然発生的に形成されていきました。

明治40年には、玉電(玉川電気鉄道)が渋谷〜玉川に開通、三軒茶屋に電車が走り出します。

関東大震災後、都心で家を失った人達が、玉電が通る交通便利な三軒茶屋に多く流入し、人口が急増し商店街も急速に発展してきました。

太平洋戦争の東京大空襲で、軍事施設のあった三軒茶屋周辺も罹災しました。終戦後、焼け跡になった商店街にバラック建ての商店が並びはじめ、復興がはじまります。

昭和25年には仲見世商店街が建設されます。朝鮮戦争を期に三軒茶屋も急速に発展をとげますが、道路の整備がなされぬまま商店やアパートが急増し、いまだに残る ごちゃごちゃした町並みが形成されていきました。

昭和59年には、NTTのケーブル火災が三軒茶屋で発生、約9万回線が何日も不通になり、三軒茶屋の地名が変な所で全国に売れてしまいました。当時は携帯電話など普及しておらず、街頭に仮説電話が設置されたりしました。